「ハートが大事です。福祉をどれだけ勉強したかよりも、障がいのある方がハッピーになるために何かをしたい人。」
「お金を稼ぐ仕組みも必要。そこまで一緒に考える人がこの業界に来てくれると障がいのある方々の給与が上がるし、それによって支援員自身の給与も上がるんです。」
社会福祉法人トゥムヌイ福祉会は、利用者の可能性を見出し、商品化をすることで一人ひとりの生きがいをサポートしています。
焼肉バイキングの運営、沖縄伝統工芸品の制作など、障がいのある方々の個性やニーズに合ったサービスやプロダクトを開発し、サービスとして提供しています。
今回は、就労支援・児童支援をする方、またサービスを開発していくデザイナーを募集します。
糸満市ファーマーズマーケットの向かい、空に映える真っ白な建物に『ばんない』の看板が見えてきました。
こちらがトゥムヌイ福祉会の運営する焼肉バイキング店。一見福祉事業所とは思えない、よく見かける焼肉屋さんの雰囲気です。ちょうど大型バスからお客さんがお店へ入っていくところでした。赤で統一された店内を覗いてみると、外国の方々で賑わっている様子にまず驚きます。
「実は、お客様の9割が沖縄に観光で訪れている外国の方々です。多い日には1日100名~200名が利用しています。」
そう話すのは、理事長の喜納平(きな たいら)さん。
喜納さんはもともと福岡県の出身。東京の大学を卒業しゼネコンに入社、不動産企画開発を担当していた。
転機が訪れたのは、30歳の時赴任した南太平洋の島々からなるキリバス共和国でのこと。地元の従業員家族の中に障がいのある方がいたことが福祉に目を向けるきっかけとなったのだとか。
障がいのある方々のことをもっと知りたいという思いが募り、帰国後に転職。就労支援の仕事に就き、そこで厳しい現実と向き合うことになった。
「障がいのある方も支援員も情熱をもって仕事をしているのに、経済活動として成り立っていない。」
解決策を求め仕事を続けていたとき、結婚を機に妻の出身地である沖縄県糸満市に移住。福祉の拠点を当地に移し、2008年に法人を設立しました。
「ただ支援するのではなく、ビジネスモデルの新しい展開を模索しています。障害のある方々の所得保障ができなければ、自立生活もできないので。」
障害のある方々の所得向上のため、さまざまな仕組みを作っていくことが自分の使命だと感じているという。
喜納さんが手がけた新しいビジネスモデルの一つが琉翼(Liuyi)。沖縄の伝統工芸品である房指輪の手法とモチーフをモダンにアレンジし、オリジナルブランドとして企画から生産、販売まで行います。
プロジェクト立ち上げのきっかけは、何気ない日々から生まれました。
「障がいのある児童が紙粘土で何か作っていたんです。それも満面の笑みですごく楽しそうに。その姿を見て、彼が社会に出るとき、紙粘土を生業とし自立した生活を行うことが出来るのであろうか?と考えました。」
しかし、単純に紙粘土から創作、販売をしても買い手が現れるとは想像できませんでした。その時に出逢ったのが七房の飾りがついた沖縄の伝統工芸品、房指輪です。房指輪とは、琉球王朝時代、貴族の婚礼の儀で使用されていたもので、七房ひとつひとつのモチーフに意味が込められ、この指輪を身につけた娘がずっと幸せであるようにという母親の切なる思いが込められています。
現在沖縄では、房指輪を創る金細工(くがにぜーく ※金物職人)が少なくなり、沖縄の伝統文化を継続・発展させていくことが求められています。
「マイノリティーからマイスターへ」、紙粘土で創作するということから、金細工(くがにぜーく)になることで、彼らが生業として自立した生活をおくる仕組みづくりをしています。
琉翼(Liuyi)で支援を担当している、新城萌奈美さんから話を聞くことができました。
萌奈美さんが、就労支援事業に興味を持ったのは大学生の頃。
「大学3年のときの実習で、障がいのある方と接したことが純粋に面白かったんです。利用者さんとの会話や出てくる発想が新鮮で、素直に笑える毎日で。」
しかしその一方、利用者さんの給与が少ないということに驚きました。一生懸命働いているのに時給は数十円…もともと大学の授業で知ってはいましたが、現場に入り実際に触れ合うことで、彼らのために何かできないかという思いが芽生えました。
そんな中、就職活動中に出逢ったのがトゥムヌイ福祉会でした。焼き菓子やパンなどの施設が多い中、就労支援事業所として焼肉店を営んでいたり、福祉と伝統工芸品を掛け合わせた事業を立ち上げていたり、しっかりと障害のある方々の工賃を上げる仕組みづくりをしていることに面白いと思ったのだとか。
「利用者さんが今まで趣味としてやっていたことがシゴトに変わった瞬間が楽しい。」
紙をひたすら切ることが好きな利用者さんを見て、何かに繋がるかもと思いついたのが房指輪の七房をかたどる型紙を切る作業でした。本人のやりたいこと、1つの能力を仕事に繋げられることが面白いという。
「福祉を勉強して優しい支援ができることもいいんですけど、意外と、いろんな遊びを知っている人がこの仕事を楽しめるかもしれません。いろんな引き出しを持っている方が利用者さんの何かに繋げられると思うので。」
琉翼(Liuyi)のブランドを軌道に乗せ、利用者の給与へ反映させていくことが今の役割ですと語りながら、自身の目標については、琉翼(Liuyi)のワークショップを開いてみたい!と笑顔を見せてくれました。
トゥムヌイ福祉会がおこなっている事業として、就労支援事業以外に放課後等デイサービス・学童保育がある。
もともと就労支援がメインの事業所ではあるが、障がいのある方々が18歳になった段階で急に社会に出て働くことに難しさを感じ、放課後等デイサービスを通じて子どもの頃から発達に沿った支援を行っている。
もちろん特別支援学校でも、そのような支援を行っているがリアル感が少ない。例えば焼き物の授業などがある。学校側が作業所の仕事の中で、焼物をしているものだと思っている。しかし実際就労支援として焼物を取り組んでいるところはほとんどない。就労支援を行っているからこそ身に着けてほしい技術についてわかる部分がある。例えば秤を使えるようになること。パンなどを作るときに分量をしっかりと測れることが大切になってくる。
続いて、児童支援事業の中でも中高生を担当している玉寄和輝さんからも話を聞いてみた。
玉寄さんの一日は昨日を振り返り、支援計画を考えることから始まる。
子ども達が来るまでの時間は職員同士で「子ども達の将来のために何を習得したらいいか、そのためには具体的にどういった方法があるか」といった話をしたり、個別学習の準備をすすめたり、職員同士が密にコミュニケーションを取れる環境だという。
「子ども達の可能性を見つけていくことが楽しい」
トゥムヌイ福祉会では曜日によって学習とSSTと呼ばれるソーシャルスキルトレーニングの日が決められている。
学習の日には一人一人の伸ばしていきたい能力に合わせて電卓や指先訓練を行い、SSTの時間にはバスの乗降の練習や人とのコミュニケーションのとり方、買い物の仕方を学びながら就労へ繋げて行く。
実際にトゥムヌイ福祉会の就労支援事業所で働いている方々のほとんどはバスで通っているのだとか。
こうして児童・就労と両方の支援をしていることでそれぞれ連携し、個人個人に対してより良い支援ができることが強みだ。
今ではみんなのお兄さんのような存在のかずきさんも入社して最初の頃は子ども達との信頼関係を築くことに難しさを感じていたという。
しかし先輩方が常に相談に乗ってくれたので、子ども達との話し合いの場を設けてみたり、余暇活動で一緒にペアを組んだりしながら信頼関係を築いていった。
環境的にはとても恵まれていると話す。
改めて、これからどんな人と働きたいか喜納さんに聞いてみました。
「障害のある方々のポテンシャルを引き出してくれる人」
就労支援に関しても、その本人のやりたいこと・得意なことがあります。それを仕事化していける人。しかし売れないものを作っても意味がないので、社会で求められているモノへと商品化していける人と共に仕事をしていきたいと教えてくれました。
そのためデザイナーの役割を担ってくれる人も募集しています。
利用者の可能性を引き出し、商品企画をしていく中で、プロダクトとして見えるようになっていくことが大切。そのための高い技術は求めず、やはり大事にしているのはその人のハートだそうです。
「大好きな言葉は’’テキトウ’’です。決まったルールなどやるべきことはちゃんとやる。でもゆるいところはゆるくって感じです(笑)。未完成という、完成を目指し、変わりゆく環境の中で、常識に捉われず、絶えず変化をし続けながら、軽やかに!ですね。」
“障害のある方々のために良いことをする’’だけでは彼らの給与の問題は解決せず、会社の経営も成り立ちません。課題を無視せず、きちんとすべきところは押さえながらスタッフひとりひとりの主張や意思を尊重する喜納さんの「テキトウさ」が障害のある方々や一緒に働くスタッフへと浸透している気がしました。
最後にずばりこう断言していました。
「No.1になりたいですね。他ではあまりそういうことを言わないかもしれないですけど。沖縄県で一番いい社会福祉法人になりたいです。」
ここで働くスタッフはどんな知識や技術より、現場で利用者と直接関わること、とことん向き合い、考え続けることを大事にしていました。
支援員自身がワクワクし「もっとこうしたい」という成長意欲に溢れています。
「この人の力を活かすためには?」「どうすればもっと幸せだろう」と障害のある方々の生きがいを一緒に作っていく方をお待ちしています。